DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

オーストラリア永住者の現地情報(生活・サーフィン・アウトドア)や海外旅行記など

Road to オーストラリア永住権⑩

ゴールドコーストでの生活や仕事にも慣れてきた。

毎日怒涛のごとく働いている中で、ここにいるのはあくまでも永住権までの通過点と割り切って働いていても疑問は増していく一方だった。

会社の中は勿論、ゴールドコーストの旅行業界全体が結局日本の村社会なのである。

しかも日本よりも狭く悪い意味で濃い、よりギュッと詰まった足の引っ張り合いばかりの掃きだめのような村社会だった。

仕事の非効率性はもとより、とにかく狭い社会の中でどうでもいいステータスの競い合い、業界内の結束力向上という訳の分からない理由をつけての日系キャバクラでの無駄な経費の垂れ流し、一歩日本社会を出たら通用しない会社間のブランド意識から来るマウンティングなどが日々行われていた。

そこには何も本来の業務と関係ない事で大騒ぎして嫉妬して人を裏切り、レベルの低い騙しあいを、当たり前のような顔で行っている連中の姿があった。そして彼らはそういった行為を、”これがビジネスだ”みたいな態度で自分がすごいビジネスマンになったかのような顔をして歩いていた。

俺にはそういう連中がどこを切っても同じな金太郎飴の顔にしか見えなかった。

その業界の人々は一言で言うと同化政策の中にすっぽりと入りこんでいて、狭い日本人社会の中で皆同じようなものを身に着けゴルフなど同じ趣味をして、同じ所で飲み食いしていた。

当然自分とはまるで違う人種だったので、プライベートでは全く関係ない人間関係を築き、自分の本当に好きな事をやっていた俺の事を良く思っていない人達がいた。

ただプライベートを自分の好きなようにやっている俺の事を変わり者呼ばわりし、社会人として間違っている、といったような事を言ってくるやつが上司や他の会社の幹部などにもいた。

まるでゴールドコースト日本村”から距離を置く人間を”悪者”とでも思っているのだろうか?

実は自分の雇用者もその一人で、俺に対して業務時間以外にも、

同業者達と常につるみ興味の無いゴルフを覚え、いつも日本系居酒屋やキャバクラに行く事を強要してきた。

そしてそれが”すばらしいビジネスや人生につながるんだ”と説いてきた。どうしたらそういう風な考えに支配されてしまうのか俺には不思議でしようがなく、もはや脳みそに寄生虫でも湧いてるんじゃないかと本気で疑った。

しかも通常業務も多忙で、オフィス業務時間以外でも緊急連絡先の名の元に全然緊急じゃない電話が無数に24時間掛かってくる中で貴重~~なプライベートの時間をそんな事に費やすわけにいかない。

彼らはビザをサポートしているという事を盾にこっちが何でもやると思っている。

しかしここはオーストラリアである。

オーストラリアの法律・慣習に沿って俺は働くべきであり、この環境はそれに程遠い。そしてそんな対価ももらっていない。

そういった色んな理不尽な事に対する疑問が蓄積し、徐々に俺はそういった物事を撥ね付け始め、オフィスにいる時間以外はますますゴールドコースト日本人村”の人間達と関わらないようにしていくことにした。

その事について経営者から嫌味や警告を言われたりしたのだが、もしそんな(ゴルフや日系キャバクラに行かないなどといった)くだらない理由で非正当な解雇などがあったらとことん法の下に徹底的に戦ってやるつもりだった。

が、所詮相手はそんな根性も無く、ただ俺とその雇い主の間に距離が出来ただけだった。俺は其のころ会社で言えばかなり上のポジションにいたが、一切自分の経営者に話しかけることもなく、実に1年半以上もお互い挨拶すら交わさなかった

そしてそれについては今でも全く後悔していないし、正しい判断だったと思う。法律違反を犯すまともでない経営者などに何も恩も無い。中にはビザをスポンサーされてるから感謝すべきだ、といった考えの人もいるが、そうではない。こちらも永住権のステップとして会社を利用しているが、向こうも同じようにスポンサーした従業員の弱みに付け込んで利用しているのでお互い様である。

 

そう、辞める時はこちらの都合で辞める。

 

そんな感じで仕事を続けているとき、法律が変わりこのままツーリズムの世界でこのままビジネスビザでいても、永住権まではかなり遠い道のりになることが判明した。

あと少しならともかくまだ何年もこの状況下にいてもしょうがない、と思い別の方法で永住権をとる準備を始めた。

その時の移民法ではまだ”独立移住ビザ”という種類の永住権を取得する事が現在ほど困難では無く、オーストラリア政府がそのビザの対象としている職業リストの中の資格を通じて申請する事が出来た

その職業リストにある職種は多岐に渡っていたが、当然ツーリズムは入ってないので自分の予算と時間(年齢によってポイントが違ったため、時間の掛かる資格はさけたかった)などを考慮して医師・パイロットなどは非現実的だったので、シェフの資格を通して申請する事にした。

決してやりたい事ではなかったが、永住権さえ取れればあとはまた自分のやりたいことをやれば良いので、とにかく最短ルートを選ぶことにした。

そして同時にケアンズという田舎のリゾートの町に行けばビザ申請のポイントが5ポイントプラスされるので、そろそろゴールドコーストからも離れたかったので、貯金が目標額にたまり次第ケアンズに移りシェフの資格をとるコースに行く事に決めた。

一時的に生きがいのサーフィンを封印してでも(ケアンズは基本的にサーフィン不可)永住権の為に数年ケアンズに移る事に決めた。そしてその時期を2年後の2008年2月から始まるコースに合わせることにした。

この環境もあと2年、と自分に言い聞かせ耐えていたが、正直24時間の電話応対やら普段の終わりのない業務にかなり疲れ果てて、ストレスはマックス状態になっていた。。

 

 

そんな折、突然緊急の社内全体ミーティングが行われ会社の売却の発表があった。。