DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

オーストラリア永住者の現地情報(生活・サーフィン・アウトドア)や海外旅行記など

Road to オーストラリア永住権⑪

突如の会社の合併という展開に、社内はハチの巣を突いた様な大騒ぎになった。

 

俺のいた会社を買ったのは、色んな会社に投資・運営をしている投資グループだった。その傘下の旅行業部門として買われ、事前に既に吸収されていたライバル同業他社のN社と合併という形になった。

そしてウチの会社の元々の経営者は完全に会社から手を引き、CEOにはN社のCEOのMというオーストラリア人が就く事になった。ただそのMがなかなかの問題児で、業界内は狭いから奴の悪評判を以前からよく耳にした。俺のいた会社には、昔そのMと一緒に働いていて被害を被った古株の人達やその周りが大騒ぎしていた。

ただしそんな中俺は一人で冷静に会社の合併を受け止めていて、Mの事はさておき、完全に関係修復不能だった前経営者はいなくなったし(そのまま2年近く挨拶もしないまま終わった)、Mの上に立つ新しい経営体制はオーストラリアとニュージーランドで色々な会社を経営する大きい母体の会社なので、法律に沿った形で労働条件がかなり改善され事がなにより嬉しかった。

そんな感じで皆と違う反応が顔や言動に出てたのか、古株や他の人達も合併に前向きな俺の反応を白い目で見ていた。例の同化政策”的な、ここは皆で反発しなきゃ!!という同調圧力の空気である。

確かにMという新CEOは悪い評判が後を絶たない。

奴の悪い評判は、

  • 気に入らない人間はすぐ理由をでっちあげクビにする
  • 他人の功績は自分のものにして、自分のミスは他人のせいに画策する
  • 国立公園の入園料を水増しして会社の金を横領している

などがあった。

しかし自分にとって今一番警戒しなければいけないのは、ビザの引継ぎの件である。ビザの件でもこのMは悪い噂があった。過去に本来会社が負担すべきビザ申請代を申請者の従業員からかすめ取っていたという噂だ。

Mは何だかんだビザを申請する従業員を懐柔し或いは脅してビザ代をその従業員に払わせ、会社からは経費でビザを申請し、従業員から受け取った金を懐に入れているという内容だった。

はっきり言ってあと1年半程で辞める俺にとってはそのMの経営手腕などどうでもよく、確かめなければならないのは奴が今回俺達にもビザ引継ぎの際同じ事をしようとしているのではないかという事だ。

そこで過去そういった事をやられたという噂の日本人の人何人かに話を聞いた。中にはあまり知らない間柄でも話を聞くために食事を奢って時間を割いてもらったりもした。

その中でMのやり方というか、話の持っていき方に一つのパターンが見えたので、俺からカマをかけてみる事にした。もしMが俺が調べたような感じで話を持っていこうとするなら、黒だ。白なら明確に会社がビザ申請代を払うというはず

そしてすぐさまMと話をする機会を持った。

《その会社には俺の他に数名同じようにビジネスビザで働く自分の直接の部下達がいたのだが、彼らにも一緒にMと話をするか確認した。すると彼らは”めっそうもない、CEOのMを問い詰めるなんて自分の立場を追い詰める事はしたくない”とのこと。そして俺が更に”もし俺だけ話合いによって申請料を正しく会社に払わせるようになり、君達は自分で払うような事になってもいいのか?”というような事を聞いても、”自分達はMの言う通りにする。払えと言われたら払う、逆らったりはしない。”と言うのでこれは俺一人の意思という形で話合いに臨んだ。》

CEO室に入るなり俺は自分が描いたシナリオ通り話始めたが、案の定M話を煙に巻き始め、事前に召集した情報通りのパターンの逃げ技をし始めたので、はい、こいつは確定!という事で俺はそこで話を切り上げ実力行使に出た。

 

まずCEO室を出てすぐに、まだ実際にはあったことのない経営陣のトップの一人、この会社の担当になるPの連絡先を入手した。

Pにメールをその場で送り、

Mが法律違反を犯してビザ代を横領しようとしていること、またP本人からビザ代の支払いに関する明確な回答があるまで自分は一切の業務をストップする事”

を伝えた。

 

実際に俺はメール直後一切の業務をストップした。

会社がビザ代を出すかどうかも分からない状態で無償で働く程俺はお人よしではない。全て電話も引き継がせなかった。

Pは多くの会社をもっており、忙しいのでメールはなかなかこないと思ったのだが、識のない俺のメールに30分程で返信してきた。

Pはメールで、

”何を言っているんだ?そんな物は全て会社が払うにきまっているだろう、Mの奴はそんなこと言ってやがるのか!Mにはこっちから話をするからどうか業務に戻ってくれ”

と至極まともな回答が返ってきたので俺は業務に戻った。

そしてしばらくしてMから呼ばれ、彼はPから叱責されたのか渋い顔で、

PはCEOの俺を通さず直接従業員がコンタクトをとることを嫌がるから何か問題があったら全部俺に話をしろ”などとぬかした。

俺はそれに対し、

Pは俺に問題があったら直接自分のところにも相談しろと言っていたんだ!自分に都合が悪いからって嘘をつくな!俺はこれからもお前が何か怪しい事をしようとしたら直接Pに話をする!”

と宣言したので、合併直後からCEOのMとの仲は最悪になった。

ま、どうでもいいけど。

《ただ前出の自分達で払う、と言っていた他のビジネスビザの連中はPの計らいでビザが会社から払われることになるとコロッと態度が変わった。こいつらは自分は矢面は絶対立たず、ただ風見鳥のように周囲を伺いズルく生きている、と思い一切信用しなくなった。》

そしてそのまま年が明け2007年になった。

(自由テキスト)

 

そろそろプランしていた2008年2月からのコースの準備をしなければならないと思い、計画通りケアンズのシェフ&ホスピタリティーの2年間コースに8月に申し込んだ。この申し込みによって次の階段のステップが視界に入ってきた。ますます会社との距離を置き、ただ年内前淡々と仕事をして貯金をすることしか頭になかったのだが、あとこの会社とも数か月という所でまた一波乱あったのだ。。

 

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