DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

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中国から中央アジア ~シルクロード横断ディープ旅~ ウズベキスタン編⑮

<ヒバ~ブハラ~寝台列車>~砂ぼこり舞う大地を一気に駆け抜け再びあの聖地へ~

 

 

《車での砂漠の移動!あの夢の町ブハラに舞い戻る》

翌朝朝食を宿で取った後、チェックアウトして9:00前に出発した。

今回は電車でもなくバスでもなくチャーターした車だ、いえ~い!

4人いるのでブハラまでそんなにチャーター代は高くない。

何故ブハラに戻るのかというと、俺を覗く3人はブハラから国境を越えてタジキスタンに行くらしい。俺もいつか行ってみたい国だ。俺は20日にタシュケントからタイに向けてのフライトを取っていて、まだ時間があるので是非好きなブハラにもう一度寄って行きたかったので都合が良かった。

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今回は地獄電車じゃないぞ、車だぞ!

今日は車で快適かと思ったが、エアコンが効かないので必然的に窓を開ける事になる。するとすごい砂ぼこりで思わず窓を半分くらい閉めてしまう。そうなると今度は暑さで苦しくなるという展開。

結論 ⇒ ウズベキスタンのこの季節は旅には向かないらしい。。。

途中何もない砂漠だが、たまにおばちゃんが道端に大きな冷水ポットと共にポツンと座っているのを見かける。なんと水や炭酸水を打っているみたいで、値段は10円くらい。

それでどれだけの売り上げになるかは分からないが、こんな過酷な暑さの下で本当に大変そうだ。

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こういう何もない途中の路上で突如水を売るおばさんが腰かけていたりする。。

そんな中2人組の欧米人がチャリで奔走していた。思えばこのシルクロードチャリダーにはたくさんあったが、実際この暑さの中砂漠を走っているチャリダーを目にすると見てるだけでどっと汗が出てくる。いや、単純に尊敬してしまう。俺も絶対いつかチャリの旅はしようと思っているのだが、こんな過酷な条件ですることが出来るのだろうか?

車は途中頑張っていたが、この道中は道がガタガタで、ついにバンクをしてしまった。暑さの中ドライバーがタイヤを交換しているが、何か出来る事はないかと思うがここは彼に任すしかない。そんなこんなで中々進まなかったが、夕方4:30頃ようやく懐かしのブハに到着した。

 


行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

ディープすぎるシルクロード中央アジアの旅 (中経の文庫)

 

疲れていたがブハラに帰ってきたという懐かしさと嬉しさで少し元気が出て、前に泊まった宿に向かっていると偶然その宿主・アブドゥールとバッタリあったので、そのまま彼と一緒に宿に向かった。

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懐かしのブハラ。すごく時間が経ったように感じる。。。

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ここに帰ってくると何故か自然と落ち着く。。。

《期待を打ち砕かれた強烈なイタリア料理》

ピーター達は2人部屋を確保し、俺とクムは俺達が前に泊まった3ベッドのドミトリーになったが、そこに先客のイギリス人ジョンがいた。そこで彼も合流し、念願のイタリアンレストランに行ってみた。

この気候でパッサパサのパンとウズベク飯の攻撃に心から参っていた我々は、ずっとイタリアンなどの料理を恋枯れていた。そんな中久々の慣れた食べ物を食べに行く事に、俺達は興奮しきっていた。

が、、

楽しみにしていたのとは裏腹に、頼んだスパゲティーボロネーゼはパスタではなくラグマンに似ていて、うどん風の奇妙な味だった。もう一つ頼んだマルガリータのピザはまだ食えたのだが、横をみるとジョンが自分のカルボナーラに殆ど手を付けずにボーゼンとしていた。

そんなにひどいのかと少しもらってみると、この世の物とは思えないまずさだった。

まず麺がパスタではなくうどんである。そしてホワイトソースにはヨーグルトらしき酸味が加わっており、一体これの何がイタリアンなのか1%も理解出来ない代物だった。。。

これには2,3口食べただけで、目に涙を浮かべ固まってしまったジョンの行動にも納得がいく。皆ウズベキスタンの食事に食傷気味でこの機会を楽しみにしていた中、満を持して行ったイタリアンに大きく裏切られショックが隠し切れない様子だ。

そしてとぼとぼと皆元気なく宿に戻り皆で喋って寝た。。。

 


中央アジアの炊き込みご飯「プロフ」の素

 

《ついに見つけた!絵画の中の風景はこの路地裏だった❢❢》

 

翌朝は久々にこの宿で朝食を食べたが、相変わらずアブドゥールママの料理は上手で量も充実だった。

そして俺は明日の夕方タシュケントに戻るのでチケットを買いに行ったら安いのがなく高い席のしか残っていなかった。ただしかしこれであの窓際の恐怖の砂まみれベッドを再び経験することはないであろう。

そして午前中はのんびりとして午後に出かけた。

もう一通りブハラの見どころは前回の滞在で行っているのだが、改めて歩いてみるとやはりここの町並みは何というか特別な感じである。しかし前に散々この辺は歩き回ったのだが、細かい路地裏など同じ建物でも違った角度からの眺めなど見落としていた部分の写真を撮りまくってしまった。

今までにこんなにも写真を撮った旅行は無いと言うほど撮りまくっている。

唯一ここでやり残したことといえば、前回滞在した時に行ったアートギャラリーの中で気に入った、路地裏の奥から半分顔を見せるモスクの絵の実際の景色を発見することだった。

路地を色々歩いていたら奥に路地からモスクの頭が見える道があってこれか?と思ったがちょっと違う感じだった。

そして更に歩き続けて留置所跡の方に行く途中何か勘が働いて手前の路地を入って行くと、目の前に白い建物が見えいい雰囲気だったので右に曲がってみると、まさにあの絵まんまの景色が目に飛び込んで来た!

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これが探して絵の風景。やはり実在した!今にも絵の中のあのおじいさんが向こうから歩いてきそう。。。

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この絵の景色だと思うんだけど。。

あの絵のように綺麗に隙間からモスクが見えた瞬間は、探していたものを見つけた喜びと生活感溢れる雰囲気に感動した。窓から子供達が覗きこんで来て写真を撮ってくれと言われたり話しかけられたりして楽しい場所でもあった。

そのままブラブラして色んな物を胸に刻み込み、改めてブハラの町の良さを感じだ一日だった。そしてもうやる事はやり尽した感じなので抜け殻のように宿でのんびりして夕食も宿で食べたらまたすごい量が出て来た。チキンも満足の味だった。

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窓から写真をせがむ子供達。路地裏のほんと心地よいひと時

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あまりの暑さにラビハウスの神聖な泉をプール代わりにする地元の若者達

《と派手なハーレム世界の王宮でブハラ最後の観光》

翌朝も宿で朝食を食べて洗濯をしたりしてチェックアウトした。

そしてクムとイギリス人のジョンと郊外の王宮跡に向かうバスを探している途中、珍しいトサカのウッドペッカーを見つけた。奴は変な動きで珍しかった。この渇いた大地にもこんな鳥とかが街中にいるのは意外だった。

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変なトサカのウッドペッカー。以外にこんな所にも鳥は生きている。

そしてバスを捕まえて王宮跡にいった。

中には当代の王から3代目の孔雀がたくさんいた。そして建物の中に入ると信じられないような煌びやかな装飾を施した内装で彩られた部屋が沢山あり、見ごたえがあった。それにしてもイスラムの当時の王朝はどこもど派手な装飾が好きだったんだな。青、赤、黄色、緑、紫などをこれでもかと散りばめたデザインは中々日本や他のアジアの歴史的建造物では見る事が煌びやかさだ。

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中に入るとキンキラキンの内装が眩しい王宮跡

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どの部屋も本当にゴージャスで、金・銀・銅も贅沢に使われていて色んなものが展示され、日本や中国から贈られた壺などもあった。ここから予測するに当時このティムール王朝はかなりの栄華を誇っていたようだ。

日本も絡んでいたとは知らなかった。当時から意外とこの辺りまで交流があったとは驚きだ。普段あまり博物館とか印象に残らないが、ここは今まで行った中で一番良かったかも。

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日本から送られた壺もあった。当時も結構この辺と交流があったとは驚き!

そしてここには宮殿の一部のハーレム跡もある。

支配者は上からプールに入っている女たちを見下ろしそこから気に入った女を選ぶらしいのだが、何という贅沢な空間なんだろう。女が毎日選びたい放題なんて何とも羨ましい限りだ。

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ここからハーレムプールを見下ろしていた、当時の支配者の気分になって想像してみる

 

《ついに訪れた別れ・中国以来の一人の時間がやって来た》

そして一通り回ったのでバスで宿に戻り、夕方6時頃皆とお別れをした。

旅人同士の別れは今までも何度と経験してるのでもう慣れっこなのだが、ピーターは少ししょんぼりとしていたので寂しく思ってくれていたのだろうか? 

ずっとカップルの彼らと共に行動してプライバシーを侵害していたのではないか、本当はもう二人で行動したいんじゃないかと途中思っていたが、実際はそんなことは杞憂だったのかも知れない。

本当3週間近くも一緒にいたのだ。

こんなにも長く旅を一緒に現地で出会った旅人としたことがないので、この前のマタンヘイドリアン・ビクトールも含め今回は本当に色々な経験をさせてもらった。本当お国違えば旅も違うで、彼らの危なっかしいくらいの行動力や楽しむ姿勢は見習う所も多くあったし、アウトドア、特に山への興味に導いてくれた彼らには感謝もしている。

 

色々と彼らのわがままな部分などもあったけど、それも含めて掛け替えのない面白い時間を過ごせ、また彼らと一緒でなかったらここまで深いというかハチャメチャな濃い冒険はこの中央アジアで出来なかったんじゃないかと思う。

思えばあのウルムチの宿が始まりで、あそこでその後色々と絡むことになる多くの旅人にあったと思うと、あの宿にたまたまいって本当にラッキーだったな。

 

旅なんて本当に偶然の出会いや流れで大きく方向性が変わって行くので、退屈な時もあれば一方何かのきっかけで一気にエキサイティングになったりで、先が読めないから面白い。

なので俺はどんなにネット環境が発達してツーリズムに影響を及ぼしても、このスタイルはやめられないと思う。

予定通りに行動しそれを楽しむ旅も状況によってはそれはそれで楽しいかもしれないけど、やっぱりこういった勢いやその時の勘や縁で動くスタイルは、はまればプランきっちりのスタイルの旅の何十倍ものエキサイティングな旅が経験出来る。

 

なのでこのスタイルは、年を重ねても貫いて行こうと思う。

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別れの前に一枚。特にピーター達カップルとはずっと一緒にいたので何か離れる実感がわかない。。

 

宿を出てマルシュートカに乗り電車の駅に向かって出発し、町を離れるとようやく本当に久々に一人になったと気づいた。

思えば完全に一人になるのはウルムチの宿に着く前以来だ。

2か月近くひたすら他の旅人や現地の人々と常に一緒にいたことになる。

いや~、それまで一人が多かったのに急にまた一人になると、ほっとしたような寂しいような複雑などう処理していいか分からない感情が湧いてきてフワフワとしてしまう。

誰かが常に横にいたから誰もいないと不思議というか妙に不安定な気分である。

 

着くと電車は既に駅にいて、すぐに乗り込むと高い4人部屋席なので快適そうだ。

2人のおばさんが同室だったのだが、英語が全く通じないが構わずバンバン質問してくるので一人になったと思いきやまた賑やかになった。おまけにこの人たちはやたらと食べ物を進めてきて、果物とかは良いのだが食欲も無くこのうだる様な暑さの車内で何とベイクドポテトとベーコンの料理を勧められ、ほぼ無理やり食わされた。

この組み合わせは砂漠気候では敦煌の時のゆで卵と同様に、一番食ってはいけない組み合わせである。案の定口に運ぶと凄まじい即効性の胸焼けを引き起こす始末。それでもやたら進めてくるので無理やりほぼ全部食ったらコミュニケーションの行き違いか、おばちゃん達があっ、この人全部食っちまったよ!”みたいな感じで顔を見合わせていた。

なんだよ、ちょっと食えば良かったのかよ。。あ~、胸がムカムカする。キンキンに冷えたコーラが飲みたい。。

 

そうこうしてふと外を見てみるとちょうど地平線に夕日が降りる時で空が真っ赤に染まりすごく綺麗だった。これはまさに旅の終わりにふさわしい贈り物をもらったようだ。

 

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車窓からの夕日。ウズベキスタンから最後の贈り物か。思えばこの旅は夕日が節目に必ずポイントになっていた気がする。。

 

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