DavePerthのオーストラリア生活記&海外旅行記

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中国から中央アジア ~シルクロード横断ディープ旅~ ウズベキスタン編⑯

寝台列車!~タシュケント~戻って来た首都で新たな同国人との出会い、そして中央アジア最後の時を静かに謳歌する~

 

 

タシュケントで久々の日本語での会話》

翌朝電車はタシュケントに着き、すぐメトロに乗り換えると一本でチョスルーマーケット駅に行くので便利だ。

もうここのメトロも慣れたものだ。タシュケントは一国の首都にしては小さいけれど、それでも今まで砂漠のオアシスのような所を転々としていたのでここでも立派な騒々しい都会に映る。

少し迷ったが無事前に泊まっていた宿、Gluna Guest Houseを見つけ主人も覚えていてくれて4人部屋ドミトリーにチェックインした。

すると宿にはサマルカンドで一緒だったあのスイス女性2人組もいた。一人はあの折り紙狂いのおばさんで、もう一人は弁護士をやっている、他の旅人達曰く押せば行けそうな女の子だ。

 

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部屋にいると一人の武者のような長髪のアジア人が入ってきた。

彼は一瞥で俺を日本人と判断出来たらしく日本語で挨拶してきた。彼はH君といって何やら色々自由に旅している人らしい。本当に久しぶりにまともな日本語を喋った気がする。

そしてブラブラとバザールに行き露店で食べたりするとやはり安かった。思えばウズベキスタンはここから始まったのかと思うと、数週間前の事がやたら昔の事に感じて少し旅の終わりに感傷的になってきた。。

 

その後宿に戻り例のスイスの子と色々話していて、これはもう少し頑張れば行けるんじゃないかと期待を抱き、入れ替わりにH君と話をしてそのまま彼と夜飯を食いに行った。

チョスルーバザールの更に奥の方に歩くと、知らなかったが色々と食べ物屋などがあり地元民で賑わっていた。折角なので初めてのラクダのスープを頼んでみると油で温度が上がっていて口をやけどしてしまったが、味は思いのほか美味かった。他にシャシュリックやチキンを頼んで久しぶりに充実したディナーになった。H君は色々と旅や世界平和について熱く語っていたが、はやけどで口の中が燃えるように熱く、折角の久々の日本語トークだが話は半分くらいしか入ってこなかった。。。

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ラクダのスープ。味は悪くなかったが、、、、熱い!

中央アジア最後の観光と日本人墓地探しに奮闘》

翌日は早めに起きて朝食を食べて7:00頃出かけた。

次の日の朝に空港に向けて出発するのでこの日が最後に動ける日だ。

取りあえずまだタシュケントを良く観光してないので心残りがないように見ておこうと思った。まずメトロで隣の駅でおりてタシュケントを代表するメドレセを目指す。途中迷い掛けたが英語を話す一人の女性が親切に教えてくれ、その方向に向かうとでんとそびえ立つミナレットが見えたので無事に辿り着いた。

ここのミナレットはかなり高く、雲一つない真っ青な空とのコントラストがいい感じだ。もうこの空とミナレットの対比をウズベキスタンに来て何枚写真を撮った事か。それでもここでも撮ってしまう。これが最後のミナレットか。。

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高くそびえ立つミナレットとモスクのコンビ。これがこの旅最後かな。。

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首都にもちゃんと人々の心の拠り所が存在している

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これが最後のザ・ミナレットか。。。

ここはモスクとメドレセが連立しておりタシュケントの人々の宗教的な心の拠り所の中心地になるのだろうか。どの町にも必ずシンボル的なモスクやメドレセが有り、そこには観光客の有無に関わらず皆とても大事にしていた。

日本人は世界でも宗教色が薄い国民性と言われているが、こういった生まれた時からある絶対的な心の拠り所があるのもいい物なのかもしれないと、この旅で少し羨ましく思ったりした。

ここの雰囲気はとてもよく、建物の間にある広い空間も心をほっこりさせる空気感がある。地元の人が多くのんびりと眺めたり、家族で写真を撮ったりまたお祈りしたりそれぞれのやり方でここを楽しんでいる。

裏の方にある14世紀以降の著名な学者などのお墓が入っている建物に行くと、ここは願いがかなう祈りの場所と言われているので、親子や女性達が来て、すごく真剣に祈りをささげ何か唱えていたのが印象的だった。

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偉人にお祈りを捧げに行く親子の後ろ姿

その後メトロで日本人墓地にアクセスの良い駅で降りたが、地図が無いので場所が分からず人に聞いて回っても分からない人が多い。

とにかく日本人の意味の"ヤポンスキーを連呼しながら祈るジェスチャーをしながら人に聞いて行く。そしてかなり歩いてようやく38番のバスが墓地方面に行くと分かったので、それに乗りドライバーに例のヤポンスキーと祈りのジェスチャーをすると俺がどこに向かっているのか分かったらしく降りる所を教えてくれた。

そして歩いていても同じ方法で通りすがりの人に聞くとさすが近所だからか日本人墓地の在り処をしっていて指差して教えてくれ、何とか墓地に辿り着いた。ただ墓地は日本人の物だけでなく、例の、墓に大きな顔写真をプリントした地元民の墓や他の物などもありかなり広いので迷って掃除している職人さんなどに聞きようやくお目当ての日本人墓地の場所に着いた。

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ようやく日本人墓地に辿り着く

ここは第2次大戦の敗戦後にロシア(ソ連)に強制労働をさせられた元軍人の、日本に帰れぬままこの地で亡くなった日本人達の共同墓地である。

なんでわざわざ知らない人達の墓地にこんなに苦労して探して来たかと言うと実際そんなに意味はなかったのだが、せっかくこういう機会に自分達の歴史を作った人達をお参りして行こうとふと思ったりしてみたからだ。

ようするに気まぐれなのだが、少し調べると実は世界の色んな所にこういった日本人墓地は存在するらしい。ここの墓地には79名、他のウズベキスタン国内の墓地も合わせると合計数百名が埋められている事を知った。

ここまで来たのだからと水をあげてからこの場を去った。

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世界を平和を願う記念碑。こういった日本人墓地が各地にあるんだな。。。

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ここには約70名の日本に帰れなかった人々が眠っている。何を思っていたんだろうか。。

《恐怖のエナジードリンクと残念なTVタワー》

一旦宿に戻り昨日のH君Nさんと言う日本で和菓子屋で働いている、一人旅の人と合流しメトロでアライバザールという所に行った。ここで図々しくフルーツを試食しまくっているとすごい飲み物を発見。

それは一見エナジードリンクなのだが、中身は強度のエナジードリンクウォッカが混ざっている。これは試そうという事になり買ってみてシェアをしたが少し飲んだだけで喉が焼けるような感じがした。全部飲んだら一体どういう事になるのだろう?非常に体に悪そうな組み合わせである。

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これが殺人的ドリンク・エナジーウォッカ。全部飲んだらどうなる!?


中央アジアの炊き込みご飯「プロフ」の素

 

そして次はTVタワーに行ってみた。

中に入ったが6階の展望台しか行けず、上までは開放されていなかったので低い所からの眺めで見える町並みも味気ない新市街で、サマルカンドやヒバのミナレットの上からの眺めとは違い微妙であった。

中途半端な観光スポットの割にやたらセキュリティーが厳しくて何もかも微妙だった。

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タシュケントのTVタワー

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無駄にセキュリティーが厳しいが、特に何もない。。

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TVタワーの展望台から新市街の眺め。

シルクロード最後の夜にまさかの地震に遭遇》

暑いので宿に帰りまったりしているとチャリダーT君という若めの男の子がいた。彼はキルギスタンであの韓国人のジュンミンと知り合ったみたいだ。本当に旅人の世界は偶然な繋がりが多く、国を越えてのこういった変な繋がりに遭遇する。

そして今日帰るN氏を見送りシャワーやパッキングを済ませ下に降りると例のスイス人の女の子が一人でポツンといたので、これはチャンスと思いテーブルの向かいに座り話していた。

結構盛り上がりこのまま飯でも誘ってその後はムフフ、と企んでいたらH君の暑苦しい顔が横にやって来て、"アニキ、今日は最後なんだから一緒に飲みに行って語り合いましょう!!”と言われ手を引っ張られてしまった。。。!

いや、これから口説くところだったのに!あ~遠ざかってゆく俺の魚が。。

結局H君T君と俺の野郎3人でまず昨日のラクダスープの所で飯を食い、そこからタクシーでH君が知っているという、マナスというおしゃれなライブバーで飲む事にした。ここは外人やちょっと金持ってそうな地元の若い人達が来ていたが、全体的に閑散としており前のスペースでは確かにちょっとバンドとかも入ってウズベキスタンぽくないおしゃれな感じだったが、あまり盛り上がってはいない。。

ここでも野郎3人熱く旅の事や男気の事や世界平和の事などを語り、深夜12:30頃タクシーを捕まえ帰路に着いたのだが、宿に着くと夜中だというのに宿泊者達が下の中庭集まっていたので、”何?何かパーティーでもやってるの?“と酔っぱらいながら聞くと、ちょっと憮然とした様子の欧米系の女性が、

”あんたたちあんなに大きく揺れたのに気づかなかったの?呑気なもんね。あんたたち日本人は地震とか慣れてるかもしれないけど、私達は怖くって怖くって仕方なく眠れそうもないから皆でこうやって中庭に避難してきたんじゃない!“

 

とのたまった。

 

 

一気に酔いがさめる俺達。地震なんていつあった?

聞くとちょうど俺達がタクシーで帰って来てた途中で、おそらく一回H君が店で何か買うために、タクシーを停車させていた時のタイミングに地震が起きていたと思われる。

何故なら一人下車したH君は道路で大きな揺れを感じたらしいが、それは自分が酔っぱらっているからと思ったらしい。更に俺は酔っぱらって車中爆睡中だったので気付かずという失態。。。

 

何ともウズベキスタンの最後の夜で結構な地震に出くわすとは。。(実際タシュケントの数十キロ東の盆地が震源地であり、この地震で十数名の死者が出ていたことを翌日のネットニュースで知った)

 

あきれ顔の他の宿泊者達やH君達とも別れ翌朝が早い俺は床に着くことにした。。

 


はじめて旅するウズベキスタン

 

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